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銀の鈴社は、〈花や動物、子供たちがすくすく育つこと〉を願って活動しています

今朝の朝日新聞 天声人語を読んで

小社の看板シリーズ、ジュニアポエムシリーズはもう40年。320になる。その中の著者、新川和江さんの訃報関連とともにまどみちおさんの詩が紹介されています。

ぼくがここに いるとき

ほかの どんなものも

ぼくに かさなって

ここに いることは できない

思えば、30年ほど前、まだ教育出版センターの頃、ご来社いただいたときのことと重なりました。ああ、こうして感じたことを、ことばにして熟成していくとこのような詩になるんだ と。

まどさんは、お席につくなりのけぞって

今、電車でずっと座れたから疲れてないよ。ありがたい。

ぼくしみじみ思ったよ。

こうして自分が

今 座っている

この席

この空間

世界で自分だけのもの

なんだと。

ほら、このビロードのこのソファにいる今のぼくも ね

これがコーヒーをお出しして、ご足労をねぎらってご挨拶したわたしへの返答でした。

忘れられません。

レトリカと名付けたこの応接室は、当時いろいろな方に喜ばれました。レトリック理論を裏付けに国文学者の父が、天井を高ーく作ってほしい。学者や先生、アーティストがくるこの部屋は、同席したとき、それぞれの会話が飛び交うに違いない。会話というのは、話すことによって、ひとりの思考が次へ次へと高みに昇華するとアリストテレスは言っている。それが彼の修辞論だよ。 

そのことばで生まれたのでレトリカ

と命名された小会議もできる部屋でした。

井上靖さんもいらっしゃいました。

詩人の会 焔の会の会場になりました。石垣リンさん、山本和夫さんなど。いちばんにいらした井上靖さんとお話しがはずみました。そのとき、

あなたは神さまをひとことでどう表現しますか?

ぼくね今、書いているところで、神さまについて行き詰まってるんだ。若い人の考え方知りたいな。

えー ひとことで言うと

かしら。私、上田敏全集の編集中ですが、海潮音の

春の朝

という詩が大好きで

そこに 神そらに知らしめす

と言うことばかあります。納得したのでした。と。

おお、ありがとう。今日はもう帰ってもいい気分。と笑いながらきちんと受け止めてくださいました。

 思い出のついでに 柴崎俊子

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