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銀の鈴社は、〈花や動物、子供たちがすくすく育つこと〉を願って活動しています

銀の鈴社30周年 記念の年です 一同燃えてます。どうぞよろしくお願いいたします。  編集長 柴崎俊子

2016年 1月 早や半月が過ぎました。
毎朝のミーティングでも 30周年の節目の緊張感で議題が溢れています。
銀座から鎌倉へと社屋を移転して 8年目です。
鶴岡八幡宮のふところで、その昔大蔵幕府の中心地だったという場所です。
ここ雪の下は通称学者村で、著名な文化人に人気のようです。
ギャラリー併設の古民家出版社は、総勢5人(非常勤含み)。
ギャラリーという入り口は思いもかけない外の空気を運んでくれます。
これは銀座時代には考えもつかないことでした。
例えば 「ふらっとギャラリーに入ったら 奥に本がいっぱいあって 鎌倉散策に楽しみが増えた」と その後はご家族でお茶1杯の休息に立ち寄られ「子どもの学校の100年史をお願いできますか?」と ありがたい記念史の仕事が飛び込んだり…。
また地元の子どものチーム「サッカー頼朝50年史」を編集したり…。
自分史、記念史、作品集も大歓迎です。
思えば、編集という黒子の仕事について、亀の歩みながら半世紀。
今では、飛び込んで見えた人の溢れる想いに、耳を傾けて整理しながら、目に見えない尊い体験の世界を「本」という形にするお手伝いをしたり、いつの間にか体得した多様な編集の切り口をアウトプットする喜びを頂いてます。
小鳥の声や緑深い風景の中、この編集室はユートピアです。
東京人から「鎌倉時間」と笑われますが、お約束した時間はきちんと守りますからご安心ください。
 

ジュニアノンフィクション 近刊『田中舘愛橘ものがたり』いよいよ大詰め

2016年2月末 刊行予定でフィニッシュの編集中です。
著者 松浦明氏は 曽祖父の生涯をなぞりながら、ときに感無量、ときにあまりの体当たり目一杯の人生模様に圧倒されてため息の連続。
膨大な足跡の中から、ジュニアにもこれだけは伝えたいという思いで、ていねいにほとんどが書き下ろし原稿です。
明治魂とはよく言ったもので、一人の人間に 健康と才能と情熱と時代の要請、責任感が重なった時これほどの快挙がなせるのだと、大きな業績を実感します。
江戸から明治の初期 開国により西洋文明の遅れに気づいた知識人たちの気迫は、想像を絶するレベルです。
東北訛りの田中博士は、政府から要請される矢継ぎ早な数々の国際会議に出席、その数はなんと68回に及びます。
「地球を2度駆け巡る第2の月」と称されたのもうなずけます。
キューリー夫人やアインシュタインとも同席しました。
シベリア鉄道をコトコトと何日もかけて、車中が書斎のような状況です。
交通手段や言語の普及など、便利な今の研究環境から考えると、不可能という言葉が許されない感じです。
今、放送中の朝の連続ドラマ「あさがきた」と同時代を駆け抜けた人です。
その人たちの共通の精神、愛国心は一様に本気、体当たり、情熱の火花を伝えてくれます。
現代という平和な時代 その礎石を造ってくれた人々の想いを子どもたちに伝えたいと思います。
編集長 柴崎俊子

春 みーつけた

鎌倉 佐助稲荷への道沿いに 雪をとなりに つくしがひょろひょろせいのびしていました。
気象庁記録の大雪の残る寒い中 春はもうそこまできているとわくわくします。
青空に誘われ グー散歩を兼ねて 近くの絵本画家長野家に 依頼の校正刷りを届けます。
内田りんたろう詩集『まぜごはん』です。
たけのこごはんが大好きとか。ことばの魅力を縦横に詠った詩集です。 

母校を訪ねて    柴崎俊子

12月3日 なつかしの西荻下車。
100周年を迎える母校 東京女子大学に出版の分野での参加を申し出る。
生来 あれこれ考えるより 走りながら考えるタイプで ひとつチャレンジを と踏み出す。
せっかく昨年 編集者として表彰され ここで もてる経験を思う存分だしきってみようと。
どうなることやら 相手様の手に万事委ねて のんびり美しいキャンパスを散策。
足元に ばらの花の形をした木の実がコロッと落ちてくる。見上げると ハイジの本の挿絵にあるおおきなおおきなモミの木。
前庭の芝生も白亜のチャペルも 55年前と変わらずほっとする。
さすがに 学園の奥は 林だった緑のゾーンに 近代建築が美しく並んで 規模の大きな変化を実感する。
感無量の一日でした。 

編集日記  柴崎俊子   この空につながる

林 佐知子詩集 串田敦子/絵 ジュニアポエムno230
著者4冊目の詩集。
森羅万象を わかりやすいことばで表現する詩人。
今回は 3・11の東日本大震災に 詩人としての役割を真摯にみつめ ことばの力を信じてまとめた 祈りの詩集です。
ひとりでも多くのひとに元気の素になりますように・・・
こころとこころ
こころ と こころが
ふれあえば
ひとりは ふたりに
なります
こころ と こころが
ささえあえば
こころは つよく
なれます
だれかとつながる
こころです

編集日記  柴崎俊子   ゆりかごのうた

ジュニアポエムno233 吉田房子詩集 岸田歌子・絵
長い年月 ひたむきにことばを紡ぎ続けて 人生の足跡をしっかり刻み続けている詩人。
その心は はるか師サトウハチロー時代から 木曜会の宮中雲子、宮田滋子の今に至るまで変わらぬ精進の姿勢。平凡なる非凡を思わずにおれない 奥深さ 厚みをただよわせる詩集です。
童謡の根源はこもりうた という詩人のことばに応えて たくさんの作品からひとりの孫にそそぐまなざしを集めました。
もうひとりの100歳になるおばあちゃまの ういういしい感性が独創的な貼り絵になって 合わせてこの1冊の詩集になりました。
ふたりのおばあちゃまからの プレゼント。なんと尊い 幸せな 女の子でしょう。

編集日記  柴崎俊子   ひとすじの川

泉 響子 短歌  日向山寿十郎 絵
モダンな短歌画集誕生です。
中央の歌壇で そのユニークな歌風は評価され 著者のふところに眠ったまま月日が過ぎました。
新鋭の美人画の世界をひたはしる画家の感性が うたごころに響き 美しい画集になりました。
日本の文化韻文の風に 日本画の妙をリズミカルに重ねた 新しい絵本を心をこめて世に送ります。

編集室日記 『瓢箪池の河童』 柴崎俊子

瓢箪池の河童     作/だんちあん 絵/太田一希
学校の通用門を出てしばらく行くと、瓢箪の形をした古い池があります。・・・学校からの帰り道、わんぱくざかりの男の子たちの よくありそうな怖いものごっこのお話です。
この池には むかしは河童がでてなー おじいちゃんから聞いたという和樹。
うそでしょう?といいながら あれれれとはらはらどきどきの現実の展開がいっきに読ませる 楽しい絵本です。
ダイナミックな絵がページを繰るよろこびを煽って 夢中になりますよ。
健康な少年たちのある日の思い出 今も昔も共有したい平凡なしあわせです。
 

詩人の営みを思う『こどものための少年詩集』2013  編集中のつぶやき・・・

秋には本として 市場に流通する。多くの図書館で毎年書棚に並んでいく 旅立ち前の詩集。
校正刷りの段階で 夏休みに小中学生や一般の不特定のかたに呼びかけて「私の心に響いた3編」を選び 感想を書いてもらう大仕事のスタートでもあります。
発案者の若き大介さんは 昨日は平塚の聾学校にたくさんの校正刷りを届けにいきました。
障碍故に思いがけず特別に磨かれた感受性は いつも編集部を感動と発見にうならせてくれます。
今日は 編集委員の一人としての講評を意識しながら 一編一編 味わうように 耳を澄ませて 心穏やかに うぐいすの声をBGMに 校正刷りに向かっています。
同時に本に添える絵画の募集もしていますが 今年はいつもの何倍もの応募の上に 力作揃いです。
そして・・・ うれしくて このブログにつぶやきながらの休憩時間となりました。
いいなーとなんども声に出して朗読してしまう 「いい詩!」がたくさん。
「良質のことばを まっしろな心の子どもたちへ 」と考え いてもたってもたまらない気持ちでつづけている 少年詩の普及。
良質のことばから ひとつその先へ あきらかに高みにあることを実感しています。
その先は・・・ 「紡がれることばたち」が案内してくれる 澄んだ深い真実の世界 美の境地
ひかりあふれる人の生 今この足元にある果てしない永遠不変の世界への入り口の気づき 
やさしいことばを紡いで 探り 言霊として表現してくれる詩人の営みです。
声に出して朗読することで 共有できる心の旅 年齢不問で病床にあっても可能な旅です。
完成した本には『銀鈴ポエム通信』という小冊子に上記の結果が報告されて添えられます。
 

思い出のシーン

編集のデスク 
今は太田征宏作『少年の日ー焼け跡の銀座からー』の原稿があります。
下町の東京大空襲前後。 わんぱく盛りの少年たちの 日常がいきいきと綴られて 思わず同時期を過ごした幼児期のことが 記憶の奥底からむくむくと出てきているようです。
今は築地市場あたりの原っぱ 銀座歌舞伎座周辺の街筋 作者の通った京橋小学校・・・
この近くに つい4年前の銀の鈴社はありました。よくランチに足を運んだイタリアレストラン「イルビアンコ」の真ん前が 作者の家だったと。
その上作者は 浅草の白鴎高校の同窓と知り 打ち合わせがついつい思い出話に脱線するありさま。
夜は夜で 昭和の名歌番組につられ 口づさみながらぼんやり聞いているうちに タイムトンネルを急速度ですべる 「岸壁の母」のメロディーに こんな心境今の人はわからないでしょうね。と 50代の娘に話しかける。
思い出したけど 戦死の通知を受けていたのにある日突然おじいちゃんがヨレヨレの軍服姿で疎開先にたどりついたときの ふしぎなシーン 今でもはっきり覚えてる。
喜ぶはずのおばあちゃんが 青ざめた顔をして 「みんなこっちにきて 静かにするのよ お父さんが帰ったこと みなに言いふらさないのよ。おとなりのお兄ちゃんも お向かいのお父さんも・・・みんなみんな帰ってないのよ。自分たちだけ喜んでは申し訳ないでしょ。わかったね。」
たくましい母の采配に みなうなづいて薄暗い部屋で肩寄せあったことでした。
そして 父は ほどなくして私塾をはじめ 女学生たちが農作物をいっぱい抱えて我が家に通うようになりました。
それまでの日々 物々交換の母の着物も底をつき 私たちの宝物が食料品に換えられていきました。
大泣きしたことが ふっと湧き上がり 問わず語りに話したのです。
「お母さん そのこと忘れないうちに ブログに書いといて」
そうそう 私は自由が丘となりの緑が丘国民学校1年生。
疎開前に東京で 入学祝いにと西尾実先生の奥様から頂いたセルロイドの 雲をながしたような美しい筆箱と新しいトンボ鉛筆 新しい消しゴムのセット だいじなだいじな宝物でした。
学校から帰って それがたった1本のタクワンに換えられていたことを知り 人生でいちばん激しく泣きわめいた思い出なのです。
忘れていたはずの忌まわしいあれこれ しっかり映像つきで人間コンピューターにインプットされているのでした。

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