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銀の鈴社は、〈花や動物、子供たちがすくすく育つこと〉を願って活動しています

絵本「ヤギのいる学校」  取材旅行記   阿見みどり

7月はスケジュール渋滞
ルーマニア野の花ツアー 
数日後に新潟三条燕へ
翌日スケッチ教室 
2011年カレンダー仕上げ
ジュニアポエム2冊の編集
どれも同じくらい責任がある!  幸せです。
久々のアトリエ時間
忘れないうちにとヤギの資料など通読、ラフスケッチと構想台わりなど一気呵成に終日没頭する
つぎは、すこし整えてラフ案のままヤギ博士今井先生に打診するつもり もう一息のところで息切れ
ヤギは私の阿見中学の頃、農家ではまだまだ見かけた家畜。
牛乳アレルギー対策にも最近見直されてきて、とてもうれしい。
ヤギ大好き人間としてヤギネットワークに情熱を傾けておられる今井先生を微力ながら応援したい気持ちに駆られてのプログラム。
先生のひたむきなエネルギーは、新潟の小学校の校長、先生、父兄、子どもたちに受け止められて、あちこちの学校で子どもたちとヤギのお親子が元気にあそんでいました。
ひとりのひとの想いは年月と情熱をかければ、こんなにひろがるものだとまず、そのことに感動しました。
たいせつな自然のサイクルを守る。
今、化学万能の農地は、自然破壊の一路をたどっていると科学者の今井先生は嘆いて、ご自分の出来るところから行動をおこしていらっしゃいます。
内助の奥様ともども。
頭のさがる時間でした。
私も鎌倉の地で、野の花を通して、出版のしごとを通してお手伝いできることたくさんあると思いました。
戦争のない平和な時代へのかけはしは、ちいさなひとりひとりの胸にその種はあるのだと。
東京自由が丘で大空襲にあい、疎開地などをてんてんと引っ越した学齢期の体験、思春期の阿見中学は私の心のふるさとです。
中学3年の夏、生まれたての末の弟のために、兄と早朝、森をくだって農家にヤギの乳をもらいに行くのが日課でした。当時はとても怖い山道が苦痛でした。
一生懸命母を助けて育てたつもりの弟は、1年2カ月で幼い命を終えました。今なら簡単に治ったはず・・・と、母は数十年骨壷をそばに置いてはなしませんでした。
世界の平和は、ちいさな命がすくすく育つなかにこそ! この環境造りが社会人の究極の使命と信じています。
万葉時代から命をつないで、今も季節の花を開く野の花たちから頂いたメッセージです。              

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