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銀の鈴社は、〈花や動物、子供たちがすくすく育つこと〉を願って活動しています

あけましておめでとうございます◯2014年1月1日

あけましておめでとうございます。
2014年が始まりました。
大晦日の昨夜は、身体中に忍ばせた携帯カイロがいらないくらい、穏やかであたたかな夜でした。
人混みを避けながら、久しぶりに集った親族や愛犬と、妙本寺にお参りに。
溌溂とした尼僧さんと貫主さまの読経、人々の打つ除夜の鐘の音が、新しい年の夜の闇にとけていきました。
私は阪田寛夫先生の作品「童話」を思い出して、おなかに手をあてながら、消えゆく鐘の音を聴いていました。
夜が明けると、窓からは柔らかな陽射しと山の音が響いてきました。
裏山からは波音のような山の音が寄せてきます。
窓の向こうでは、山の木々が枝をよじらせています。
そんな中でも、銭洗い弁天では裏口でさえ長蛇の列。
鶴岡八幡宮前では、おまわりさんがお立ち台の上からスピーカーで参拝客の誘導。
ずらりと並ぶ段葛の提灯の中、一の鳥居(八幡宮の正面)すぐ近くに、銀の鈴社の提灯が揺れていました。
鎌倉のお正月です。
生まれたての本たちや、臨月を迎えた本、つわりの時期にきている本など、今年もたくさんの本を家族に迎えて、著者たちと育んで参ります。
昨秋スタートしたかまくら学府も、熱心な参加者が回を追うごとに増えてきております。
銀の鈴ギャラリーも、通りがかりの方々だけでなく、楽しみにご来場くださる方が増えました。
おかげさまです。
2014年も、心の鈴をチリンと鳴らすような文化の発信に邁進して参ります。
本年もどうぞよろしくお願い申しあげます。
株式会社 銀の鈴社
代表取締役 西野真由美
鶴岡八幡宮の一の鳥居を背にした銀の鈴社の提灯2014年1月1日

なぞなぞポエム◯西野真由美

なぞなぞで楽しめるポエムたちを少しご紹介しましょう。
大久保テイ子詩集『はたけの詩』(ジュニアポエムNO.44)
はたちよしこ詩集『レモンの車輪』(ジュニアポエムNO.52)
檜きみこ詩集『しっぽいっぽん』(ジュニアポエムNO.76)
松井節子詩集『風が遊びにきている』(ジュニアポエムNO.180)
これらの詩集に収められているポエムたちは、なぞなぞ用につくられたわけではありません。
けれども、なぞなぞとして楽しんでみると、ポエムがグッと身近になってくるのです。
『風が遊びにきている』の原稿を自宅で読んでいた時です。
ふっと、これはなぞなぞになる、と思いました。
そこで、家にいた母と娘に試してみたのです。
当時娘は小学生だったでしょうか、身を乗り出して、母と競って楽しみました。
それからは折にふれて試みていますが、大人も子どもも遊んでくれます。
また『はたけの詩』と『レモンの車輪』には、同じ事物をうたった作品があります。
同じものでも、詩人によってこんなに違うポエムになる。
そんな発見も、ホッと嬉しいポエムたちです。
クリスマスやお正月のお休みに、なぞなぞポエムで楽しんでみてはいかがですか?
ここにご紹介したポエムたちは、電子書籍にもなっています。
忘年会のミニゲームにもご活用くださいませ。
西野真由美

井上靖文学館での文学展講座◯西野真由美

12月1日(日)は、井上靖文学館での第9回文学展講座でした。
11月21日から12月25日まで、井上靖文学館で開催中のジュニアポエム展にあわせての文学展講座で、常葉大学教授の中村孝一先生との対談でした。
テーマは「ジュニアポエムの世界 子どもと親と先生と」。
子どもにもわかる言葉で綴られた真実の世界。
そんなジュニアポエムはもちろんですが、ポエムという韻文の、短くともキラリと光る豊かな世界に、もっと親しんでいただけたら。
中村孝一先生とともに、ポエムの楽しさと奥深さ、そしてその世界を味わい楽しむための様々な方途の一端をご紹介して参りました。
なぞなぞポエムや、小学校での実践例など、熱心にメモをとられる方も多く、小学校5年生の少女とお母様の親子や図書館司書、読み聞かせボランティアの方など、10代から多分70代くらいの方まで、たくさんの方々が参加されました。
ジュニアポエムをはじめ、いろんな詩人の作品を楽しみましたが、最後に中村孝一先生は、上手に井上靖詩集『シリア沙漠の少年』(ジュニアポエム32)に話を振り向けてくださいました。
文学館としては、井上靖の文学作品を読み解くという従来の文学展講座とは異なる新しい試みだったそうで、定員オーバーという予想外の結果にたいへん喜んでおられました。
読売新聞記者さんの取材も、最初から最後までしっかり聴いてくださっていて、ありがたいことでした。
周りの木々は鮮やかに色づき、つわぷきの黄色い花が首を伸ばし、乙女椿は数え切れないほどの蕾をつけていました。
そしてなにより、青空を背景にドドンとそびえる富士山の勇姿を堪能した一日でもありました。
西野真由美

ポエムで感じて考える「いのち」と「平和」○西野真由美○目白大学にて

21日の木曜日に、目白大学でポエムの話をして参りました。
話といっても、私の拙い話より、たくさんの素敵な作品に出会ってもらう方がいいので、たくさんのポエムをご紹介しました。
お相手は、目白大学人間学部児童教育学科の二年生。
質問もさまざまで、けれどもしっかりと受け止めてくれたことがよくわかる質問ばかり。
小学校の先生を目指す学生さん達のまっすぐな眼差しに、思わず背筋を伸ばしながらのひとときでした。
その中であらためて感じたのは、ポエムとの距離。
授業で学習したという谷川俊太郎さんの「生きる」や「朝のリレー」くらいしか知らなかった、と。
『子どものための少年詩集』での子どもたちの感想同様、配布資料に収載した作品や朗読した作品に、学生さん達は、それぞれ心響かせてくれました。
もっともっと、作品にふれてもらえれば。
いただいた感想レポートでも再確認しつつ、それでも、子ども達にもポエムを伝えていきたいとか、自分も心の杖となる作品を見つけたいというようなレポートも多く、明るい未来を感じました。
お招きくださった学部長の多田先生が、上手にリード&フォローしてくださったおかげで、なんとか話し終えることができました。
キャンパスの樹々も色づいて、其処此処にあるベンチには、木洩れ陽が揺れていました。
また昨日拾ったという小さなウサギの子どもやオトナのウサギ、黒豚など、小動物たちもいました。
穏やかな表情の若者たちが行き交い、明るい若人の声が響くキャンパスで過ごした、心地よい秋の一日でした。
西野真由美

電子ブックストアー開店にあたって◯西野真由美

銀の鈴社創立記念日の11月22日に、電子ブックストアーを開店しました。
銀の鈴社の電子書籍が、自社のホームページでご購入いただけるようになったのです。
これは、電子書籍の契約締結に快く応じてくださった著者の方々と、電子書籍専門のコンテン堂を運営するアイプレスジャパン様のおかげです。
電子書籍、電子ブックを毛嫌いする方はまだたくさんいらっしゃると思います。
私も、やはり本は紙で読みたいし、本は本としての佇まいも大切だと思っております。
けれども、電子書籍の利便性は否定できません。
小さな薄い、そして軽くなった端末機が、その利便性を日々さらに向上させています。
何冊も持ち歩かなくとも、シニアグラス(老眼鏡)を取り出さなくても、そしてちょっとしたすき間時間にも、気軽に本を読めるようになるのです。
これは、ポエムにとって大きなチャンス!
何時でも何処でも気ままに手繰り、たくさんのポエムに出会えるのです。
忙しくても、短時間で無限の世界へ心を解き放つことができるポエムとの出会い。
殺伐とした今を生きる私たちの心の安定剤として。
人が人間らしく生きるために大切な想像力を育むために。
かつてOECDの文化度をはかる調査で、自宅の本棚に詩集があるか?という項目がありました。
テレビやパソコンの保有率ではダントツの日本が、ガクンと低かった項目です。
歌が思い出に寄り添うように、ポエムには、心の杖となる力があります。
人生の折々に、その杖が支えてくれるのです。
そんなポエムとの出会いを、一人でも多くの方に経験していただきたい。
熟田津にふなのりせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎいでな
万葉集の額田王の有名な和歌です。
これは出陣を鼓舞するうたといわれていますが、私には、いざという時に背中を押してくれる応援のポエムです。
さあ、潮も満ちてきました。
電子ブックでお気に入りの詩集を見つけたら、どうぞあなたの本棚にその詩集を、紙の本の詩集も、お仲間に入れてあげてください。
なお、オープンにむけて、担当の西野大介と深夜まで詰めてくださった、アイプレスジャパンの方々はじめ関係各位の皆様方に、あらためて御礼申しあげます。
どうもありがとうございました。
西野真由美

柏木隆雄詩集『かんさつ日記』

曲がついて歌われることを想定してつくられた詩集。
それが、柏木隆雄詩集『かんさつ日記』です。
そして本書は、やなせたかし先生はじめ、13人の個性あふれる画家たちによる絵のアンソロジーにもなっていて、まるで小さな展覧会のような詩集です。
色とりどりの金平糖のような前半には、27篇の作品を収載。
子どもの日常を子どもの目線で捉えた詩と、日本の情景を詠った詩が満載です。
ことに「あやめの歌」や「干潟の譜」のような水辺の情景を画いた詩は、もっとも柏木隆雄さんらしい世界といえるでしょう。
そして「赤毛のアン」の世界をミュージカルにした後半。
明るく、ひたむきな向上心を持つ少女アンに、「いつか幸せになれる」希望をのせて抄訳詩にまとめたという柏木隆雄さんの、ロマンが詰まった世界です。
詩は、言葉は、見過ごされ、忘れ去られがちな大切なものを伝えることができます。
そして、その詩に音楽がついて歌えるようになると、その言葉は静かに血肉となって、その人を支えてくれるようになります。
少し難しい言葉も、歌として身体に染みついてしまえば、言葉の引き出しが増えます。
そうしていつか真の意味に気づいた時、引き出しにしまってあった言葉を、自在にまとうことができるようになるのです。
『かんさつ日記』の作品に曲がついて、たくさんの子どもや大人に歌われますよう、願ってやみません。
追記
タイトル詩に絵を描いてくださったやなせたかし先生は、わずかにみえる左目だけで、この絵を描いてくださいました。
ポエムを愛したやなせたかし先生の強い想いとエールに応えられるよう、これからもポエムの灯火を灯し続けて参ります。
西野真由美

やなせたかし先生の思い出○西野真由美

やなせたかし先生が旅立たれました。
新聞各紙の一面には、やなせ先生の笑顔がありました。
ジュニアポエムNO.142『生きているってふしぎだな』は、やなせ先生の一本の電話からうまれました。
「入院しちゃってね。ようやく時間ができたので、詩集をまとめようと思うんだよ」
そうして、ジュニアポエムにやなせたかし詩集が加わりました。
東日本大震災後にはじめたホームページでのポエム支援は、手作りバッグや被災者句集『負げねっちゃ』につながるはじめの一歩でした。
ホームページに<元気がでるポエム>をアップしよう!
計画停電中でパソコンも電話も繋がらない時間に、みんなで作品を選びました。
当時の200冊近いジュニアポエムに、次々と付箋が付いていきました。
その中で、やなせたかし詩集『生きているってふしぎだな』は、ダントツの数の付箋が貼られ、たくさんの作品がアップされました。
勇気と元気をくれる作品や、キュンと切なくなる作品。
やなせ先生の作品には、あたたかな眼差しと希望の光があふれているのです。
やなせ先生の作品の力に改めて心打たれている頃に、アンパンマンの歌が避難所に笑顔を運んでくれたというニュースを聞きました。
今思い出しても、嬉しくて目頭がツーンときます。
詩を、歌を、心から愛し、大切にされていたやなせ先生の言葉が思い出されます。
「アンパンマンのテレビアニメ化の話がきた時にね、迷ったんだよ。
テレビアニメになったら、僕の手を離れていくからね。
だから、一つだけ条件をつけたんだ。
アンパンマンで歌われる歌の詞は、必ず僕が書くからって」
アンパンマンの歌には、やなせ先生の世界がギュッと詰まっているのです。
その後、ちいさなカラーの詩の絵本あこがれよ なかよくしようも続けて刊行できました。
収載の「しろくま」には、流氷に乗って流されている白熊の子どもが描かれています。
「これはね、テレビで見たんだよ。
もう何十年も前なんだけどね。
あの子熊はどうしているんだろうってね」
一口坂ギャラリーで開催してくださった銀の鈴社20周年記念展のミニお話会には、音響設備持参で来てくださったやなせ先生。
真っ赤なシャツに黒づくめのスーツで歌うやなせ先生。
めくった上着の裏地には、真っ赤な薔薇が咲き誇っていました。
病室で受け取った原稿の束の中には、かつて中学生の頃に図書室で見つけて暗誦していた詩がありました。
作者名をすっかり忘れていた私には、震えるような再会でした。
勇気と希望をこの世界に贈り続けてくださったやなせ先生、どうもありがとうございました。
私たちは、やなせたかし詩集を通して、先生の想いをこれからも届け続けてまいります。 合掌
西野真由美

藤本美智子詩集『心のふうせん』○西野真由美

藤本美智子詩集『心のふうせん』(ジュニアポエムNO.231)のご紹介です。
前詩集『緑のふんすい』(ジュニアポエムNO.206)の伸びやかな世界はそのままに、今度は簡潔で軽やかな短詩のロンドではじまる楽しい詩集です。
  つゆ
月のしずく 朝には葉っぱの上
  くもったガラス
見えなくていいこともあるか
  おちばの道を
ごめんね ごめんね ごめんね
ウイットに富んだ、キュッと引き締まったポエムたちです。
後半の詩でも、藤本さんらしい好奇心に満ちた、あたたかな眼差しにあふれたポエムが続きます。
そして、あとがきにかえて収載された一連の「風(ふう)さん」の詩は4編。
「やっぱりいない」から「にじ」までの4編には、飼犬を通して、あるいは飼犬と一緒に、逝ってしまった家族を偲ぶ作者の、懸命に踏ん張って堪えている姿が彷彿として迫ります。
核家族化が進んだ現代では、本物の死、身内の死を体験することが、大人でさえ少なくなっています。
あとがきにかえて収載された4編を通して、死が突きつける喪失感と、生が教えてくれる希望とを感じていただけたらと願います。
西野真由美

『ゆずりは』○西野真由美

新谷亜貴子作『ゆずりは』が刊行されました。
処女作『君の声が聞こえる』につづく2作目の小説です。
「おくりびと」という映画がありました。
納棺氏という仕事の存在を、私はそれで知りました。
葬儀を司る仕事の尊さをあらためて痛感する作品です。
本作の冒頭は、葬儀社の面接会場。
茶髪にピアス。粗雑な言葉に折り目のない態度。
チャラ男と呼びたいような高梨歩に、会社は当然のように不採用の決定をだそうとします。
その時、主人公の水島は、なぜか気掛かりになって、自分が責任を持って指導しますからと、採用を願いでてしまうのです。
無防備な心のままにぶつかってゆく高梨によって、いくつもの葬儀、その死と生が、葬儀という儀式をこえてオムニバスで語られます。
遺された人に寄り添って故人を悼む高梨。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの高梨の言動が、妻の自死で頑なになっていた主人公や周囲の人々の心をほぐし、解き放っていきます。
ゆずりはのように命のバトンをつなぎながら様々な人生を描きだす本書は、読後、心の中に小さな温石(おんじゃく)をそっと置いてくれるでしょう。
とても小さな温石ですが、静かにじんわりとあなたの心をあたためてくれる作品、 それが『ゆずりは』です。
西野真由美

平成の立原道造○西野真由美

火星雅範詩集『ささぶね うかべたよ』(ジュニアポエムNO.23 )のご紹介です。
印刷所から届いた刷りあがったばかりの一部抜きを手にして、編集長は言いました。
「現代の立原道造だわ」と。
蒼く澄んだ透明な水底のような哀しみと、まっすぐにのびた一筋の眩い白い光のような祈り。
優しさに満ちたこの詩集には、そんな色を感じます。
火星さんは、わずかに自由が効く舌で、キーボードを手繰るそうです。
脳性麻痺。
中国東北部で生まれ、二歳で母を亡くし、父と日本へ引き揚げる船中で高熱を発して以来、と。
重く厳しい来し方を前に、言葉を失います。
火星さんは、いつもカラフルなハンチングを斜めに被って、車椅子で現れます。
いつもにこやかな笑顔を絶やさない火星さんですが、私の言葉に強く心を動かされた時に、感極まって涙をうかべ、身体を仰け反らせて共感、共鳴を示してくださったことが何度かありました。
その度に、いつも付き添っている若者が、すぐに火星さんを抱いて、車椅子から落ちないように守ってくれるのです。
彼の純粋なリアクションと、その行為の重さとに、私は立ち尽くしてしまいました。
けれども、それだけではありません。
なにより私が心打たれたのは、彼の詩に対する、ご自分の作品に対する態度です。
揺るがない心棒を持ちながら、あくまでもしなやかさを忘れない。
他者の見方や感じ方を拒絶せず、謙虚に許容する姿勢を、彼はこう言いました。
「(拒絶していたら)作品の幅が広がらない」と。
作品は、発表された時から作者のもとを羽ばたいていくものです。
読者は、作者の想いをそのままに受け止めてくれる人ばかりではありません。
様々な受け止め方を許容する、あるいは認めることで、作品も作者も育っていく。
本は子どもと同じ。
子育ては、親育てでもあるのです。
私たちの常の想いを、火星さんは一言で表現してくれました。
挿画は、西川律子さん。
『もうひとつの赤ずきんちゃん』、『もうひとつのかぐや姫』、二冊の絵本の作者です。
完全な抽象ではないけれども、具象でもない。
そんな間(あわい)の表現で、火星さんの作品世界を描いてくれました。
火星雅範詩集『ささぶね うかべたよ』は、信仰と愛のまなざしに満ちた詩集です。
西野真由美

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